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出挙(米貸し)は昔の年金制度だった

米が税として、さらに貨幣化した後の出挙の記録をたどってみると、文武元年(697)に、政府が貸し付ける”大税(おおちから)”という稲の利息を取らないことにした、とあります(「続日本紀」)。
おそらく天武天皇のころには始まっていたと思われる出挙だが、このころには徴税のための手段に転じ、民衆に根を下ろしていたようです。

初穂という純粋に宗教的な儀式にも似た貸し付けが、現実的な政府に税収確保の道を開いたのです。
春先に種籾を貸して、秋の収穫期に返済を求めるという意味では神社が行う初穂と仕組みは同じ。
ところが官営の出挙は、すべてに貸し出されるものであり租税の一種である。しかし政府が種籾を貸すということは、人々は翌年の種籾の心配をせずに収穫のすべてを食べ切ってしまってもいいことになります。

つまり出挙は秋の収穫を政府の管理で確実にするための制度であり、社会保障の意味合いもあったのです。現代でいえば1年で完結する公的年金です。
全員が老後のために貯蓄していれば年金制度の必要はありません。ただ、人間なかなかそこまで計画的に動けないもの。 出挙についても、1年分の種籾の計算をしたうえで保管してくれるという意味があったのです。

日本では米という穀物が貸し付けの対象ですが、世界史的に見ても穀物貸付はよく行われています。 最古の記録は紀元前3000年ごろまで遡るメソポタミヤ文明。ハンムラビ法典に残された麦貸し付けの者です。その貸し付けに対する利息は、年利33.33%、銀貨の貸し付けは20%が上限でした(中田一郎訳「ハンムラビ法典」)。

出挙がどのくらいの利息を取っていたかは、明確ではありません。
和銅4年に、私を貸し付ける場合、今後、利息は元本の倍を超えてはならないとか、さらに養老6年(722)には、公私の出挙の利率を三割にするといった記録があるくらいです。 これだけをみると出挙の利息は、10割とか3割まで幅がありますが、この二つの規定の中間の養老4年(720)に、
「負債の稲が長年経過しているとしても、利息は倍を超過しえてはならぬ」(続日本紀)とあります。
おそらく年率としては10割とか3割とかいう決まりはあるものの、期間は考えずにとにかく「利息が元本の2倍」になったら、上限規制にかかるという意味でしょう。しかし生産性が高い米であれば、農業技術が現代とは比べ物にならないとしても、それほど高い利息ではなかったと言えます。

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