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江戸の町で大金を手にした「札差」とは(江戸の質屋/金融事情)

江戸中期の1760〜1780年代、江戸に「十八大通」と呼ばれる町人たちがいました。
十八大通とは「十八人の通人を超えた者」という意味で、今でいう「超セレブ」といったところ。
湯水のように金を使って豪遊しては、世間の注目を集めていたそうです。
最先端のファッションに身を包み、吉原を貸し切るなどの派手な散財を繰り返しました。
ときには、街の髪結い床(今の美容室)をめちゃくちゃに壊しておいて、 「これで直せ」と二十両を投げてよこすなど、破天荒な金遣いで世間を騒がせることも。
そんな彼らが大金を作ったのは、武士の米の売買をする「札差」と呼ばれるビジネスでした。

当時、幕府から旗本・御家人に支給される給与には、「知行取」と「蔵米取」の二つの方式がありました。

知行取:幕府から所領(領土)を与えられる方式。そこから徴収した年貢が収入となる
蔵米取:所領はない代わりに、俸禄米として米が現物支給される方式

このうち、武士が受け取っていたのは、蔵米取のほうが圧倒的に多かったのです。
しかし、生活するには米だけでなく現金が必要。 そこで、米の売買を仲介する「札差」という職業が生まれました。

札差は、依頼主から預かった蔵米受取手形(札)を、蔵役所の藁包みに指しておいて、米を受け取り、 それをその日の相場で換金して、依頼主に渡します。

手数料は米100俵受取につき金一分、換金で金二分、計金三分と公定されており、 手数料自体はそこまで高くありませんでした。
しかし、札差はサイドビジネスを編み出すことで暴利を得ることになります。それが武士相手の金融業です。
農作物であるコメの価格は不安定であり、旗本・御家人たちは、米価が下がって十分な現金が得られないとき、 仲介者である札差から生活資金を借りました。
つまり、札差は、先々に取れるコメを担保とした高利貸しでもあったのです。その金利は年利15〜20%にものぼりました。
そうして築いた財力を背景として札差は豪遊を重ねましたが、借金にあえいでいる武士を尻目の贅沢三昧を、幕府がいつまでも見逃すはずがありません。
幕府は、寛政元年(1789)、棄捐令と言われる徳政令を出して、札差が持つ債権を一方的に帳消しにしてしまいました。 それ以降、大通たちの派手な遊びも鳴りをひそめることになったようです。

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・江戸時代の質屋/金融事情
質屋にはどんなものを持ち込んだ?
高利貸しの金利はどのくらい?
江戸で活躍した「札差」とは
見倒屋は何でも買い取る古物商
古着屋でそろわないものはない?

・金貸しと質屋の起源
金貸し業の始まりは仏教イベント
利息稼ぎは「米貸し」が起源
米は神様から借りたもの
出挙(米貸し)は昔の年金制度だった
質屋の始まりは1200年前の奈良時代

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